チャリで巡る東北本線旧線(山線)

○目次
・利府駅〜松島IC付近

・松島海岸IC付近〜松島大郷IC付近
・松島町初原浄水場付近
・初原浄水場付近〜高城川
・高城川〜大菅踏切

・復路&補足編

○概要
 利府駅は何で行き止まりの支線にあるのでしょう?
この問いに答えられる人はそれほど多くないのではないだろうか?
私も子供の頃は、町の中心に駅を造るためにわざわざ分岐させたのかな?
と思っていたのだが、これは不正解。
答えは単純明快、昔は利府駅の先まで線路が延びていたからなのだ。
この区間に東北本線が開通(1890)した際、ルートは現在の海岸沿いを経由するのではなく
内陸を通っていたそうです。
経路は大体今の利府街道とにたような感じで、最終的には東北本線愛宕駅の下り側で
現在の東北本線と合流していました。
しかしながら、海運との接続の悪さや、勾配がきついなどの問題から
海岸沿いに新規のルートが建設されます(1944)。
通称「山線」と「海線」です。
当初海線は貨物のみだったようですが、需要の問題などから
海線を複線化するのにともない1962年に山線は廃止されることになります....。

 さて、最近私と弟の間ではちょっとした廃モノ(要するに廃が付くモノ)ブームで
会う度に「あそこにいってみたい」等という会話で盛り上がっており
「じゃあどっか行くか?」ということになるのにそれほど時間は掛からなかった。
いまはWEB上に大量の情報があり、選り取りみどりとも言える状況だが
実は季節的に問題があって、6月というのは猛烈に植物が延びる時期なのだ。
それと虫!虫!虫!
これはもう、バイクで散々思い知らされているので、「山にはいるネタは無理」と早々に結論を下す。
そこで私の提案、「ちゃりで山線踏破」
レアネタでもないし、近郊と言うこともあってイマイチ萌え要素に乏しいが
実は山線跡はほとんど道路として残っており、しかもかなりの区間が自転車道となっているのだ。
これなら藪こぎの必要もないし、なにより廃線ビギナーの我々が、入門編として
挑戦するには打ってつけのプランではないかと思えたのだ。
あとは昔(20年くらい前)個人的に興味をもって図書館での資料室で
詳しく調べたりしながらも、実地調査に行きそびれているという事情もあったりして
なんとか早いうちにかやっつけておきたいという事情もあったのである。
古いモノは消えてゆく一方なのでね。
ところがどっこい、行ってみたらWEBでは見つけられなかった様々な痕跡がまだまだ!
以下レポート。2006/6/24


○利府駅〜松島IC付近
 土曜の朝、小学校の児童参観に行き、帰宅後速攻で車にチャリを積んで実家へ
弟を迎えに行く。
天気は上々、というか暑い。雨の心配なし。
弟はチャリの状態に不安があるようで、何かいじっていたが
それは私の自転車とて同じこと。まあ山じゃないし何とかなるさ。
パンク修理だけは道具持ったので安心。バイクに比べりゃチョロい(と思う)
妹から差し入れ(?)の栗駒地下汁をもらい、車に2台のチャリを積んでいざ出発。
弟の持ってきたジンギスカンのベスト盤を聞きながら利府へ。
 なんでチャリなのかというと、気ままに、こまめに止まったり戻ったり
するにはこれ以上の乗り物はないように思われるからだ。
お得意のバイクはどうなの?と思われる方もいるでしょうが
あれは走り始めると、止まるのがすごーく億劫な乗り物なのですよ。
だって走ってるのが楽しい訳で。
スピードも出るから、気になるモノは大体一度は通り過ぎてしまうし
交通があるところでは、戻るのも一苦労だし、第一にふらふら走っていたら
危ないったらありゃしない。。
学生の頃、地質調査の足にも使っていたが、はっきり言って
こういう細かい踏査には「不向き」である。
 利府の某所に車を停めて、まずは今回の起点である利府駅へ向かう。
当然ながら線路はホーム端で行き止まり。


行き止まり側から利府駅ホーム


延長線上にはJRの駐車場などが線上に並んでおり、なんとなく昔は線路だったのかなぁ
という雰囲気だけは感じられる。
しばらく進むと、早速第一遺構発見!


用水路を跨ぐための煉瓦造りの橋台がまだ残されている。
WEBで写真は見ているが、実物はちょっと興奮するね。
だって下手すると100年以上前の鉄道の遺構だよ?
しかしこの場所民家に隣接しており、住人はうちらみたいなのが写真撮りまくってるのを
どう思ってるのかな(w
ここは橋台は2つ見ることが出来、複線となっている。
おそらくこのあたりも駅の構内だったのだろう。
その先も道路はおおよそ線路跡とおぼしき経路を通り、公園となる。
ここは線路跡だったことを示すかのように(公園のどこにもそんなことは書いてないが)
電気機関車と蒸気機関車が置いてある。我々は所謂鉄道マニアではないので
詳しいことは分からないが、こういうメカは大好きなのでとりあえず、写真撮って触りまくる。
とうかまだ数百mしか進んでないのに、すごく時間消費してるぞ、俺ら。
そういえば今日はどのくらいの距離を走るのか調べてなかったよ...
ジャングルジムがあったので、利府駅側と松島側を撮影。
久しぶりに登ると怖いな...

公園から利府駅方向



公園から松島側 次の遺構がある橋が見える

写真中央の道が線路跡と思われる。
しばらく進むとまた橋。「橋があったら下を覗く」が早くも合い言葉。
一見ただの橋だがここも煉瓦の橋台が残っている。



橋桁は比較的最近車用にかけたのものだろう。

今回は「藪こぎ無し」のつもりだったが、この写真のために藪こぎ。

既に手足が痒い...
結局この後何度も藪こぎする事になる。


 この先は、いかにも「軌道跡」という感じの景色となる。
仙山線とかにありそうでしょ?こういうの(笑)


この切り通しのあたりなどは、もしかして当時の面影を留めているのでは?とさえ感じられる。
土手の上の神社は、ここを通る列車を見守っていたのだろうか?
 やがて道は利府中ICにぶつかり、一旦痕跡は消えるが、ICを迂回して向こう側にでると
再び軌道跡が現れる。

このあたりは道幅も広く一見そうとはみえないが、でも軌道跡。

車もほとんど通らず、勾配も少なく快適に進むことが出来る。
ただし鉄道遺構らしきものは何も見つけられなかった。
道は再び三陸道に近づき、下をくぐる。
これまでは田んぼの中をのほほんと走ってきたが、両側の山がぐっと迫ってきて勾配も出てくる。
ここで本題とは関係ない廃バス発見。


庄子デンキの看板超懐かしいんですけど。
「まあ今も社名はそのまま残ってるけどな」(弟談)


道は完全に切り通しとなり、両側には石垣と側溝が連なる。

路盤は一段高くなっており、いかにも軌道跡っぽい雰囲気。
石垣はモルタル等を使用しない石積みであり最近のものではない。
道幅も狭く、交通量も極めて少ないこの道に
わざわざ廃線後に石垣や側溝を設置したとは考えにくく
この切り通しが開削された際に同時に施工されたと考えた方が自然と思われる。
とすると、ここも結構当時の雰囲気を今に伝えているのかな?だったらいいなっと。
やがて道は三陸道の下をクランク状にくぐるが、石垣はまっすぐ三陸道のコンクリート製の
橋台に吸い込まれている。
この石垣はその先で再びコンクリートの中から、先ほど姿を消したのと同じ角度で現れており
三陸道が出来る前は、直線的につながっていたと考えられる。
やがて道は唐突に利府街道にぶつかる。

利府街道から来た道を振り返る 横断歩道の先が軌道跡


これまでほとんど誰にも会わずに進んできたので、この交通量は
ちょっとしたタイプスリップ気分である。
暑さに耐えかねて、ここでサンクスにより休憩

つづく