○松島町初原浄水場付近

 橋の銘板を発見したものの、位置が悪くてどうしても良く見えない。
そこで弟のカメラで遠距離から望遠で狙うことにした。
帰宅後画像を解析すれば読み取ることは可能に違いない。
違いない。確かに違いないのだが...。
ううっ、今見たい、すぐ見たい...この目で見たい、できれば触りたい。。
弟の邪魔にならないように土手から橋を眺めながら考える。
橋台は切り立っており、岸から登ることは不可能だ。
だが何か方法があるはずだ、何か...
ピコーンそうだ!(AA略)「上」から降よう!!
欄干の外に出て、欄干、もしくは橋桁にぶら下がれば橋台の上に足が乗るはず。
橋桁が橋台よりも出っ張っているのでちょっとオーバーハングだが、何とかなるのでは?
万が一落ちたときのことも考えて一応下も確認。
流れは殆どなく、泥が厚く堆積しているように見える。水深はどう見ても1m以下。
これなら落ちてもせいぜい、「ウヴォァーヘドロくさい〜」くらいで済みそうだ(多分)。
早速水にぬれて困る装備はすべて外してアタック!


弟ががんばって銘板を撮ろうとしている最中に、もうね馬鹿かとあほかと...


シミュレーション通り欄干からぶら下がり、橋台に足を乗せることに成功。
何とか橋台と橋桁の間にもぐりこめた。
そして目の前に銘板がっ!

やはりペンキが塗り重ねられており読みにくいが、解読は可能だ。
まず目に入るのは「大正15年」の文字。西暦1926年、大正最後の年であり
昭和元年である。80年前か...すげぇよ。と、ここまで書いて気が付いたのだが
開通が1890年ということは一度架け替えられてるのかな、この橋は。
単純計算で開通後36年で交換されているということか。
2行目には「川崎造船所兵庫工場製作」の文字。
むろんこれは現在の川重のことである。ううむ。
そして「鉄道省」。間違いない。鉄道用の橋だったのだ、これは。
30数年の間、数え切れないほどの列車を渡し続け、廃線後も地元の人のために
ひっそりと、半世紀近くこの橋はここに佇み続けていたのだ...。
現場ではただただ興奮するばかりであったが、今こうして改めて情報を整理してみると
また違った感慨にとらわれる...。
今回の旅でもっとも心を動かされたのが、この橋との出会いであった。
「よしっ、カメラ!カメラくれーッ!」
「...」
誰も通らなかったから良かったけど、馬鹿だよなぁ...。

つづく
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